ミッドナイトシュガーケイン

Midnight Sugarcane

Route 83

 
 エフカイビーチにはいるときワンウェイと書かれた標識を見落としがちだ。僕はバイクのハンドルを右に切ってビーチパスに入り込もうとした時にその標識に気がついた。ペンキの剥げかかったワンウェイという字は命令というより哀願しているように思えた。
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 一人きりの道ではその標識を無視しても別に何ということもなかったのだが僕はそれに従うようにした。誰もいないノースショアのビーチで意味もないのに古びた標識に従って迂回するのも面白いだろうと思ったのだ。一〇〇メートル程先に進入路がある。そこまでバイクを走らせると迂回してビーチパスの適当なところまで行って僕はエンジンを止めた。
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 二サイクルの極めて研磨的な音が消えると波の音が臨場感を伴って大きく聞こえてきた。僕は二時間ひたすらに走らせたバイクを降りた。体がぎくしゃくした感じで砂地の足場に不安定感を残す。ハンドルを握っていた両腕は冷え切っていたので手で二、三度こすった。
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 僕は砂丘の一番高いところで仰向けに寝転ぶと両腕を砂の中に突っ込んだ。暖かい感触が両腕に蘇る。スニーカーを脱いで裸足になった。右足のスニーカーにポケットから取り出したタバコと紙マッチとロードマップを放り込んだ。
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 昼下がりの青い空を見ながら僕はノースショアの砂に体を愛撫させた。波は結構高い。波の砕ける音が飛び散る水滴と一緒になって飛んでくる。アリューシャンの彼方から伝わってくる波のエネルギーが目前で砕ける。砂浜は余りにも豊かで真っ白で粒が小さい。手ですくい上げてもさらさらと液体のように逃げていく。とても平和だった。
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 僕はバックグラウンドの何もない切り取られた状況の中にいた。自分のいる光景がそれ自体で完結しているのだ。そして何よりもそれを美しく完結させているのは、そこに誰もいないという事実だった。
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 視覚の感動が慢性化し始めると思考が求心的になり自分の奥へ奥へと進む。あまりにも個人的になりすぎるとハワイにいるということが意味をなさなくなる。僕はそれがもったいないような気になりツーリングを続行することにした。
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 足についた砂を払い落としスニーカーを履いた。大地と自分との間が間接的になる。大きく息を吸い込み「ウォー!」と叫び声をあげると大急ぎでバイクを始動させビーチパスを走らせた。先ほどのワンウェイの標識に敬礼をし再び八十三号線に入る。車はほとんど一台も通らない。道の真ん中を一気に時速三十マイルで走る。モペットではこれが限界だ。
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 単調な風景の中を通過していく。いつも海は見える。八十三号線はカネオヘからずっと海岸線に沿って走っているのだ。時折り僕の気を引くような風景に出くわす。それは古びた教会だったりガソリンスタンドだったりする。それらに出くわすたびにバイクを止めてカメラのファインダーを通して覗く。遠ざかったり近づいたりしていろんなアングルを試してみる。そして最上と思う構図でシャッターを切る。
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 この時間帯は八十三号線の被写体はどうしても逆光の位置になる。だから露出の具合に悩んでしまう。カメラのインジゲーターで示される適正露出では被写体は暗く写ってしまう。
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 逆光の際は幾分、露出をオーバー気味にする必要がある。その状態で色彩をはっきり出すにはなるべくシャッタースピードを下げて絞りを大きくしなくてはならない。そうすると被写界深度も広がるのでフォーカスを合わせやすくなる。しかし僕の持っていたレンズは五十ミリF一・五の単焦点だけだったので、今ひとつ拡がりのある写真は撮れなかった。
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 もちろんアンリ・カルチエ・ブレッソンのように五十ミリの標準だけで素晴らしい写真を撮れる人もいる。だが僕にはそんな優れた撮影の腕はない。とりあえず三十五ミリの広角レンズを使ったぐらいの拡がりを出すように努めた。
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 僕は一枚の写真を撮るのに約二分かかる。風景撮影に関してはスローフォトグラファーだ。八十三号線の旅の間中、僕はこの作業を、続けた。特別な被写体もないままエフカイビーチからハレイワの方へ進んで行った。
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 二・五マイルほど行くとやっと観光客が行きそうな場所に出くわした。ワイメアフォールパークだ。しかし比較的マイナーで観光ガイドのパンフレットには載りそうもない所だった。
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 僕はワイメフォールパークと刻んである木造のゲートをくぐった。塗装がしっかりしている誘導路を二〇〇メートルほど進んで行くと森林地帯に入って行った。道路は大きな樹木を囲んだターミナルのあるパーキングエリアへ続いていた。僕はそこでバイクを停める。イグニションからキーを抜き極めて頑丈そうなワイヤーでバイクとガードポールを繋ぎロックをかけた。
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 ワイメフォールパークは自然庭園が中心になっている。僕はぶらぶらと庭園を歩いて回った。観光客が結構いるのは意外だった。多くは一目でアメリカ人とわかる連中だ。日本人はおそらく僕一人だけだっただろう。
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 ハワイに来る日本人観光客は極端に多い。全観光客の三分の一と言われている。ところが彼らをホノルル以外で見かけるのは稀だ。一歩ホノルルを出たらそこはアメリカだ。日本人が集団で歩き回ることもなく日本語の通じない地域だ。ましてやここは北部のマイナーなパークでしかも夕方になろうという時刻に日本人がいるはずがなかった。
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 僕はウエスタン映画に出てきそうな木造の二階建てのレストランに入った。一階はカフェテラスで外にむき出しのフロアだ。木の幹を輪切りにしてそのままテーブルにしている。
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 僕はカウンターに行った。オーダーは躊躇わずにホットコーヒーにした。幾分冷えた身体にはホットコーヒーが最高だ。もう何時間も口の中は乾いたままだ。
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 コーヒーが出来上がると僕はそれを持って輪切りのテーブルについた。最初の一口をゆっくりと楽しむ。体に染み渡る。コーヒーはアメリカ特有の薄い味のものだったが、十分に美味かった。大きなため息が出た。
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 近くに果樹園があるらしく果実の香りがほんのり漂ってくる。あたりはすっかり夕方だ。とても静かな森林の夕暮れだ。森林に囲まれているため太陽は見えなかったが、上空を見上げると雲が所々オレンジ色に染まっているのが見えた。太陽が夕焼けの色彩を描き始めているのがわかった。
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 カフェの二階はステーキハウスで少々の客が食事を楽しんでいるようだった。英語で語らっているのが聞こえる。どうやら僕のテーブルの真上にはひと組の男女が食事をしているらしく、男の穏やかな語りと女の無邪気な笑い声が聞こえる。
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 二人はどんな恋人達だろうと想像している最中にどこかで聴いたような音楽が流れてきた。どうやら二階で弾き語りをやっているらしい。アコースティックギターとベース、それにパーカッションという組み合わせだ。
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 ジャージーでとても感じのいいスローな曲だ。何の曲か思い出せないままイントロに続いてソフトなボーカルが入ってきた。その曲が何であるかわかるまでそう時間はかからなかった。
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 それはマイケル・フランクスの「淑女の想い」レイディ・ウォンツ・トゥ・ノウという曲だった。僕の好きなアルバムの一枚”スリーピングジプシー”のA面一曲目の曲だ。僕はたまらなく嬉しかった。その時の喜びを日本にいる友達に伝えたかった。
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 その曲を聴き終えると午後六時の約束のために僕は再びノース・ショアのサンセット・ビーチを目指して八十三号線を海岸を眺めながらモペットを走らせた。








原作    高田伸一
画像加工  藤井常人
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MUSIC

1, South Pacific Ocean
 Compose : Sean Takada, Arrangement : John TF
2, Kaneohe Blue
 Compose , Arrangement : John TF
3, Sunset Dream
 Compose , Guitar : Sean Takada, Arrangement : John TF
4, Will you teach me?
 Compose , Arrangement : John TF
5, Wimea Falls Red Sky
 Compose , Arrangement, Guitar : Sean Takada